「坂本塾の医龍~!」

村井 峻悟(14期生 平成17年卒) 坂本塾の医龍~! 

 
14期生 村井写真-加工済み

坂本塾 第14期生。 上中学校⇒奈良高校⇒滋賀医科大学 医学部医学科卒⇒東京医科歯科大学 整形外科 大学卒業後、京都の救命救急センターで研修医として救急/内科/外科/整形外科/形成外科/小児科/産婦人科を学び、鹿児島県 喜界島で離島医療に携わる。その後東京に整形外科医として進出し、日々外来・手術に揉まれながら、2020東京オリンピックに関わりさらには世界で活躍出来る整形外科医になろうと奮闘中です。

 

 

 

 

 

 

坂本塾との出会いから現在

 私の場合、姉が通っていたため自分も小学校5年生になったら坂本塾に入塾するということが、息をすること同様に自然に思っていました。入塾テストを早速受け、それ以降14期生の出席番号1番を5年間守り続けました。今はどうか分かりませんが、1番の特等席である(普通の席ですが(笑))右前の席に座ることが好きでした。

 中学時代はサッカーのクラブチームに所属しながら坂本塾に通う毎日でしたが、塾のスタンスとしても『勉強だけ頑張ってればええんや!』という雰囲気では全く無く、部活や習い事も頑張りながら勉強も頑張れという方針で、たまに試合などで遅れることはありましたが5年間ほぼ欠席することなく通いつめました。 高校受験はまさかの定員割れで受験者全員合格という結果になりましたが、坂本塾から奈良高校を受験した同志たちはみな優秀かつ個性が豊か(過ぎる)で定員割れ関係なく、無難に合格していたと思います。ただ、自分の場合奈良高校に入るということが一つの勉強のモチベーションとなっていたので入学したとたん脱力してしまい、模試などでは400人中386番が定位置となってしまいました。

 将来何をしよう、何がやりたいのだろうという引っかかりを感じながら、サッカー、軽音(幽霊部員)を続け、今でも脳裏に鮮やかに蘇る甘酸っぱい青春を送っていました。 その中で高校3年時に獣医か医師になりたいという結論に至り、一浪の後、滋賀医科大学に入学。留年率20%強という恐ろしい世界の中で、ハンドボール部にどっぷり浸かりながらも奇跡的に6年間で卒業し、京都の救命救急センターでの研修医生活を経て、現在東京で整形外科医として働いています。

 

坂本塾とは

『楽しい』『メリハリ』『かっこいい』 3つのキーワード。  

 決して甘くはない坂本塾に通い続けることが出来たのは、まず『楽しい』という感覚があったからだと思います。今振り返って思い出すのは、授業の合間に話してくれた雑談。(勉強内容も多少覚えています(笑))先生方にとっては、頻繁に雑談を催促する厄介な生徒だったかもしれませんが、今でもたくさんの雑談を思い出すことが出来ます。授業もですが、あの雑談の中に色んな真意が入っていたような気がしています。  

 次に『メリハリ』がはっきりしており、先生の『よっしゃ、やるぞー』と声を発しながらドアから入ってきた瞬間にスイッチの入る感じ、テストの結果が返ってくるときのピリピリ感、張り出されたテストの結果を見る緊迫感、かと思えば雑談で笑い泣きをしたり、ドクロを減らしドラゴンボールを増やそうとする教室の一体感があったり(制度については入ってから確かめてください笑)『メリハリ』をつけて授業に集中できる環境が整っていました。 塾生みんながある種の覚悟を持っている印象で、サボる人が見当たらず、周りが頑張るから影響されて頑張れるし、競争心が駆り立てられ、なんとか前述の右前の特等席を奪還しようと自然に頑張れていました。

 またキャラの立った先生しかおらず、坂本先生をはじめとし、『かっこいい』という印象がとても強かったです。自分もその一人になりたいと、大学生になったら坂本塾で働こうと思っていましたが大学で実家を離れてしまったため、その夢は夢で終わってしまいました。が、坂本塾・奈良高校同期の吉岡先生に僕の想いは託されました。

後輩塾生たちへの人生のアドバイス

 正直に今思い返せば、遊びたい盛りで多感な時期に部活も勉強も全力で取り組むということは精神的にも肉体的にも楽では無かったです。 ただなんとか乗り切ることができたのは、同じように頑張り、切磋琢磨出来る友人たちがたくさんいたからこそでした。 東京に来てから今でもよく会うのは坂本塾、奈良高校の友人達です。同じような環境で育ち、高い志を持ち続け、様々な世界で活躍している友人に今でも刺激を受けています。

 この世界にいると本当の天才も見かけますが、それは実はほんの一握りです。大半は努力によって自分の道を切り開いてきた『頑張れる』人たちですよ。 かっこよく、メリハリをつけ、楽しみながらも常に学び続ける習慣を付けさせてくれた坂本塾に僕は今でも感謝してもしきれません。 高校受験は通過点でありゴールではありません。ただ、ひたむきに勉強もサッカーも最後まで続け努力していたあの時期は今も自分の中での大きな自信となっています。頑張るべきときに頑張れなくて、いつ頑張れますか。 周りにサボる人がいる中では、僕は頑張れていなかったと思います。  

 人生は選択を続けてきた結果であり偶然ではなく必然だと思っています。 やることも選択、やらないことも選択です。やりたいことは全部チャレンジしてください、学びたいことはとことん学んでみてください。 その先に自分の選択した人生があるはずです。僕にとって、坂本塾のドアを開ける選択をしたことはまちがいなく人生の中での大きな一歩となりました。 後輩塾生諸君の検討を祈ります。 ありがとうございました。 村井峻悟

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