「やり方」をおしえてもらった

山中 崇弘 (3期生 平成6年卒)

山中 崇弘 (3期生 平成6年卒)

坂本塾第3期生。 上中学校⇒奈良高校⇒大阪大学経済学部卒

 

現在㈱NTTDATAに勤務。大手メガバンクの大規模オンラインシステムの維持・開発業務に携わっています。
大学時代は坂本塾で教えておりました。

塾との出会い

 自分には2つ上の兄が居たのですが、そちらの母親ネットワークで坂本先生が新しく塾を作ったという評判が聞こえてきたのが最初の出会いだったと思います。当時、自分の学校での成績は中の上ぐらいだった記憶ですが、飛びぬけて何かが良かったわけではなかったです。さらに小学生のときは運動部に所属していたこともあり、あまり腰を据えて勉強していなかったため中学の勉強に行き詰っていたような感覚はありました。ただ、兄が高校へ進んだ頃から漠然と奈高に行きたいと思うようになり、なんとかしたいという気持ちで入塾いたしました。

塾生時代の思い出

その頃の校舎は坂本先生の自宅横でした。同じ学年には20人程いて、いくらなんでも普通の家の校舎では限界があり、最後尾の席は壁が後頭部に当たるかという状況だったと記憶しています。

<大坂本先生語録(笑)>

 「おまえらアツいな!」
 「生きてるって感じするやろ」
 「やるやん↑、やってるやん↑」
 「登りきったら風になれるで。」
 「自転車は肋骨状?に停めること」
 「おいA、ヒクヒクしとるやんけ」
     →A君「・・・・ヒクヒクしてません」
 「おいA、ミドリムシのこの毛ぇの名前なんや?」
     →A君「・・・・イ、インモウですか・・・」(全員爆笑)⇒その後優秀なA君は京都大学に進学。

 入塾当初は大体中から下位ぐらいでしたので、坂本先生にはたびたび厳しく言われたことばかり覚えてますが、今になって思い返せばちゃんと成果が出たときには「やるやん」って誉めてもらえていた気がします。(大体この年頃の記憶はネガティブなものの方がよく覚えているので) 正直なところ、怒られるから、やらされるから、で始まった坂本塾の授業に何とか食らいついていくうちに、劇的ではないですがジリジリ成績も上がっていきました。最終的には比較的上のほうに定着するようになりました。 今思えば坂本先生の授業はポイントが絞られていただけでなく、再現力の高いノートとさまざまな言葉と話し方(時にはユーモラスに、時には厳しく)で、単なる理解に留まらず知識として定着し必要なときに(坂本先生の話し方とともに)取り出せるようになっていました。おそらく坂本大先生のカリスマ性もさることながら、生徒の可能性を信じて熱心に指導する姿に信頼感を持てたからだと思います。

高校受験

  どちらかと言うと尻上がりに成績が上がったため、高校受験の段になってみて自分の内申点は奈良高校を受けるにはやや心もとないことが判明し、学校の担任および坂本先生は懇談のたびに、「奈高はやめとけ」と真剣に言われた(諭された)記憶があります。
 しかし入塾した頃は漠然としたイメージだった奈高へ行きたい気持ちは、塾で得た小さな自信を積み重ねたことで比較的手の届くところまできていると感じていました。あと別の公立高校に受かったとしても後悔するやろうなという気持ちは強かったと思います。
 今となっては笑い話ですが、坂本先生の忠告(警告?)を無視して内申点の不足を一発勝負の試験で補うべくいわば特攻した結果、何とか奈良高校に合格したのでした。
 坂本塾で経験したものはこつこつ努力を積み重ねることと、それをやりぬくことだったといえるかもしれません。また、やるべき事をやりきった感はあったのでそれで開き直れたのが良かったのではと思います。でも、実は自分が受験した年は例年に比べてやや倍率が低かったので最後は運だったかもしれませんね。

高校から大学

 奈高に入ったものの2年の1学期で文系の中で下から数えて5番目ぐらいでした。また、運動部に入ってたので本格的に受験勉強を始めたのは3年の6月ぐらいでした。今回も兄の受験を見て阪大を現役の志望校に設定したものの、高3の9月ぐらいの模試でもE判定(キミは論外)でした。
 しかし本人はあまり気にしてませんでしたね。というのも、夏休みにほぼ毎日10時間ぐらい自習室に篭って自分なりの受験勉強のやり方の確立と、自分流の理解の構築と反復、定着に手ごたえを感じており、あとは蓄積したものの発揮の仕方と、受験問題を解くことに慣れるだけだという感覚に至ることができたからです。 結局、12月ぐらいの大学別模試でC判定ぐらいに持っていき、センター試験の結果は万全ではなかったものの、二次試験の数学がその日に限って恐ろしいほど解けたためか、晴れて大阪大学経済学部に現役合格することが出来ました。
 あとあとで気づいたのは、夏休みの自習に始まった一連の流れは、理解の部分が講義ではなく自習であること以外は、坂本塾でやっていたこととほぼ同じものだったのではないかということでした。つまりは自分の勉強の基本動作として体に染み付いていて、行き詰ったときに立ち返ることの出来るベースラインとなっていたと考えます。これは形を変えながらも大学~社会人になってからも役立っていますね。

塾講師として

 大学在学中に坂本塾の講師も勤めさせてもらいました。講師をするようになった経緯は詳しく覚えていませんが、ふと塾に顔を出した時に「講師、空いてまへんか?」といった感じの話の流れから、「山中やらんかい」となった気がします。 
 それまでに予備校のチューター、家庭教師、塾講師と教えることはそれなりに経験していたつもりだったのですが、いざ坂本塾の講師となるにあたり、レジェンド坂本大先生の要求レベルを満たせるか非常に不安になったことを今も覚えています。ところが実際に教壇に立つと生徒として席に座っていた記憶からか、ふっと坂本先生が憑依したかのように、不安なく言葉が出てくるようになりました。おそらく坂本先生に影響を受けた(サカモトナイズされた)生徒さんに助けられたおかげだと思うのですが、何とか自分のコマを維持させていただくことができました。ただ、自分は文系学部なのに中一の理科をやらんかいと言われた理由は今も不明です。
 また副次効果として毎週授業をすることで得られた、ホワイトボードを使って何かを説明するというプレゼンまたはコミュニケーション(個人的にはホワイトボード芸と呼ぶ)スキルは、抽象的な概念を扱う今の仕事において非常に役に立っています。

振り返ってみて

 生徒として通った結果、得たものは集中して取り組むこと、理解だけでなく反復から知識へ定着させること、こつこつやりぬくことで小さな自信を重ねた結果、最後にやったことに自信を持てるようになったことだと思います。あと、今思えば似たようなレベルの生徒と同じような目標を目指す環境は、連帯感や仲間意識を持つことが出来る一方で、程よい緊張感を持った競争意識をもたらしてくれて、自分を向上させるには非常に好影響だったと感じています。また、親でも学校の担任でもない、坂本先生をはじめとしたいわゆる「熱心な大人」が懸命に自分と向き合ってくれる場でもあったなと思います。

後輩塾生たちへのアドバイス

その1.基礎力は今つける

 自分の基礎力は坂本塾で養ったといっても過言ではないです。よく中学生の勉強は中身と同等かそれ以上に、勉強のやり方を身に付けることが重要と言われますが、まさにその通りだと思います。この時期に理解~定着~発揮・活用というサイクルついて、自分なりのやり方を身に付けることが、その後の人生において新しいことを理解・吸収する際に大いに役立つはずです。
 なおこのサイクルは高校生や大学生になってから身に付けても遅くはないですが、このサイクルは繰り返すほどに自ずと改善(スパイラルアップ)していくものなので、早めに身に付けておくほうが望ましいと考えます。個人的には高校以降で学力が伸びる子はこの力が優れているのではないかと思っています。
 話は変わりますが、有名な俳優さん(故人)のお言葉をお借りすると「芝居はまねる、学ぶ、まねぶものだ」というお話があります。これは自分が好きな言葉なんですが、「最初は先輩俳優の芝屋や監督の言うようにやる(まねる)、その中から本当の意味を理解し(学ぶ)、最後に自分なりの解釈を付け加えてまったく新しいものとする(まねぶ)」と個人的に解釈しています。その俳優さんにしか表現できない、独特の演技や雰囲気といったものはこういうマインドから生まれたというお話です。

 多少強引かもしれませんが、この3ステップが理解~定着~発揮・活用のサイクルに当てはまるのではないかと考えています。最初は先生や教科書どおりの説明を受け止めて、それらの蓄積の中から意味を理解し、最後に自分なりの理解や自分なりの言葉で表現できるようになっていくというものです。反復の中から腑に落ちる言葉や表現(や忘れられない坂本先生の顔)を蓄積し、最後にテストで発揮できるようになるプロセスは、勉強だけでなく汎用的に使っていけるものだと言えると思います。

 また、現在は仕事で新卒採用の片棒を担いでいますが、自分の経験や理解、志望動機を自分の言葉で想いを乗せて「話しきる」ことのできる学生が少なくなってきていると感じています。是非、理解、経験したことを自分の言葉で話すことを習慣付けていただきたいなと思います。

 

 その2. 行き詰ったときは失敗してもいいと思ってとにかく全力でやってみる

 あれこれ考えすぎて、過剰に萎縮してしまうぐらいなら、納得するまで考え抜いて準備をした上で、最後は勇気を持って一歩を踏み出せるようになって欲しいと思います。誰でも失敗したくないと感じるのは普通だと思いますが、一歩踏み出すことでもし失敗をしても、そこから必ず学ぶべきものがあると思います。今はいろいろな情報が容易に入手できてしまうので、ああなりたくない、こうなりたくないと心配することも多いと思いますが、思い切りよく飛び出した結果、手を差し伸べてくれる人が現れたり、もしかすると運に助けられるかもしれません。やる以上は万全の準備かつ全力で臨むのはもちろんですが、一旦実行に移してみたら結果はどうあれ「無」を「有」にできるんだと、思いきって飛び込んでみるというマインドで望んでみてはいかがでしょうか。

 

 その3. ユーモア(笑い)は必要、かなり必要

 本当に個人的なアドバイスです。
 坂本先生もよく授業中に面白い話で緊張をほぐしてくれたりして、後に続く授業に入りやすくする雰囲気を作っていると思いますが、ユーモア(笑い)のセンスはどんな場面でも必ず必要となると思います。よく言われる、初対面の人や文化的背景の異なる人とのコミュニケーションや、プレゼンテーションにおける前段の雰囲気作りなどさまざまな場面で潤滑油となってくれるという話はまさにその通りだと思います。
 自分も社会人になって外国籍の方も含めて多くの人たちと出会いましたが、(関西人のノリもありますが)笑いをベースにしたコミュニケーションで自分を覚えてもらうだけではなく、もう少し踏み込んだ表面的でない人間関係を持つことができ、仕事を進めていく上でいろいろ役に立つことが多くあり、笑いというかユーモアセンスは普遍的だということも感じることが多かったです。
 個人的に、「笑いはギャップから生まれる」と思っていて、受け手が想定する結果、原因、程度や状況を生み出す価値観に対して、ギャップがある表現や結果をもたらすことが笑いを生む基礎となっていると考えています。そこで言いたいことは、ユーモアセンスを磨くことだけがその方法ではないと思いますが、観察や思考を繰り返すことによって、自分や他人の価値観を客観的に捉える訓練を行い、それを通してひとつの物事に対していろいろな考え方が持てるようになって欲しいということです。そうすることで自分の価値観が広がり、新たな価値観を吸収するキッカケを与えてくれるかもしれないし、仮に非常にストレスフルな状況であっても状況の捉え方を変えることで、ストレスから来る精神的な危機を乗り越えることができるかもしれません。
 小難しい話で大風呂敷を広げましたが、シンプルに「笑うかどには福来る」ですし、天岩戸を開いたのも笑い声だったわけですから、楽しい雰囲気で日々を過ごすためにも、是非センスあるネタを繰り出せるように日々訓練してみてはいかがでしょうか。必ず笑い声のあるところには人が集まってきますよ。

結びに

 この度はこのような寄稿の機会を与えてくださりありがとうございました。かなり偉そうに書きましたが、少しでも響く言葉があれば幸いです。
 最後に、坂本塾で怒られながら泣きながら過ごした経験は必ず後で役に立ちます。自分を信じて必要なタイミングでベストな自分でいられるように努力してください。

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