日野 智尚(1期生 平成4年卒)
上中学校⇒奈良高校⇒大阪市立大学⇒神戸大学経営学部卒
卒業後(株)富士通に入社。
事業改革、業務改革を主に担当し、ロボットやAIの活用にも取組む
大学時代は坂本塾の名物講師でありました。
2014年4月
『日野です。ご無沙汰してます。清之(同じ坂本塾1期生)から連絡もらいました』
『元気にしとるか?』
『どうも。元気にしてます』
『今、なにやっとんねん。』
『今ですか?ベトナムにいます。』
『おぉそうか。で、塾のHP作ってな、卒業生からコメント寄せてくれてるねん、お前もやれ。』
『え。私ですか?』
『そや。頼むで。』
『はぁ。』
こんな感じのやり取りをした。 困ったなぁ。中学時代だけじゃなく、高校生の時も随分お世話になった。大学時代は、講師もしたけど、中学の頃のことなんて覚えてない。よし、適当にごまかそう。
それから1年以上経って、日本に戻ってきた。ベトナムの熱気と人々の笑顔が僕の心の真ん中に残っている。日本では、、次から次に発生する細々とした問題や定期的に発生するイベントを右から左に流していく、そんな上にも下にもいかない日常が続いていた。
そんなある日、部下が私に声をかけてきた。
『お疲れ様です。週末、大阪出張だったんでお土産です。』
『ありがとう。採用面接やったな。どうだった?』
『う~ん、関西の人って、東京の人と多少違いますよね。よく喋りますよ。そういえば、奈良出身の人がいました。日野さんは奈良出身でしたよね?』
『そうそうそう。奈良の田舎。あなたとなら大和路』
『なんですかそれ?』
『大昔のキャッチフレーズ。気にしないで。奈良行ったことある?』
『高校の修学旅行で行きましたよ。ずっと奈良だったんですか?』
『うん。社会人になるまで。高校は地元で。大学は県外だった。』
『へ~、なんて高校行ってたんですか?』
『奈良高校ってところ。』
『そのまんまですね』
『うん。何のひねりもない。その人はどうだった?』
『優秀でしたよ。日野さんと同じ奈良出身でも雰囲気違いました。』
『え?どういうこと?』
『いや、落ち着いてて。。。』
『俺が落ち着いてないみたいやん!!』
『まぁ』
『そうですよね。おっしゃる通り』
『ちなみに奈良高校っていうぐらいだから公立ですか?』
『うん。公立。そこで落ちこぼれてた。』
『今とあんまり変わらないですね。』
『そうね。学校に行ってない時あってさ、今もたまに会社こないしね。おい!!!』
『ノリ突っ込みですね。そんなこともできるんですね。』
『うん。一応ね。仕事上のスキルとして。お土産ありがとう。後でいただくよ』
お土産のたこ焼き風味のせんべいを眺めながら、もう高校を卒業してから20年経ったことを思いだした。
奈良高校かぁ、何で奈良高校だったのかな?何となく行きたいなと思っていたくらいだったし、深く考えてなかったかも。
もしかしたら、坂本塾に入ったことが一つの大きな転換点だったのかもしれない。
坂本塾に行き始めたのは、中学3年生になって少ししてからだった。塾をどうするかなぁと漠然と思っていた時に、坂本塾に行っている友達から誘われたからだ。このままだと何となくダメなんだろうなと思っていたし、他にアイデアもなかったので、誘われるがままに入塾試験の申込に行ったような気がする。
坂本塾ね。まず、塾の佇まいが不安やったな。今は、大通りに面して立地しているらしいけど、当時は、住宅街の中の一軒家。こんなところに塾が?大丈夫かな?カールスモーキー石井みたいな人が出てくるし。くらいの印象。正直、塾なんてどこでも良かったような気がしていたと思う。中学生だし、分かんないよね。ネットで調べられる時代じゃないし。
塾生の多くは地元の中学校からが多かったから、学校の延長のような感じもした。また、授業は公立にターゲットを定めているから難解な問題を解くことはない。下手すると退屈になってしまう可能性もある。でも、塾に通い始めると退屈になるようなことはなく、学校で感じていた何となく勉強している感じは全くなかった。多少の緊張感はあったけど、先生方は我々を講師と塾生の関係だけではなく、一人の人間として対等に接してくれていたからだと思う。だからこっちも真剣勝負で挑んでたような気がする。厳しいことを言う時もあるが決して突き放したものではなく、「しっかり自分で考えんかい!」期待が込められた言葉とたまに襲ってくるかわいがりにより、授業中は、良い意味での緊張感と確かな熱があったと思う。そんな雰囲気がとっても好きで気合が入りまくった。この年になって思うが、人をその気にさせるのは非常に難しい。その気にさせる側はものすごいパワーがいるし、真剣になっていないと想いなんて絶対伝わらない。また、受ける側も同じ気持ちになる準備や心構えが出来ていないと、やらされ感でしかなくなる。このギャップがね。なかなか埋まらないんだよな。
今、思えば先生方からのパワーはすごかった。塾に入ったころは、そこそこの成績だった自分がパワーに後押しされて奈良高校をターゲットにして最後まで諦めることなく頑張れたと思う。その後、高校で凹むとは思ってなかったな。今となっては大したことないけど、当時は悩み多き自分に酔っていたのは確実だ。恥ずかしいけど、これも青春の1ページやな。
そもそも『高校生になる』ということはどういうことだったんだろう?
もしかしたら『人生で初めて社会と繋がって、人としてスタートラインに立つ』ことかな。 たとえ自分の思ったような高校生活じゃなくても心配する必要は全くなくて、その後の人生のどこかで自分が活かせる場面が出てくるし、必要とされる場面なんていくらでも出てくる。いくらでもやり直しは可能だし、むしろ、その時にどう動く人になっているかの方が大事っぽい。
世の中には絶対自分じゃ敵わない、スゲーと思う人たちがたくさんいて、そういう人たちは、本当によく考えている。考えることで何をしなくちゃいけないか、どうしたら良くなるかって真剣に思うようになる。そうなると解決に向けたアクションを起こさずにはいられない。そんな感じで動き回っている人が多い。だから周りからはアクティブでエネルギッシュでパワフルな人に見える。才能を持っていてもどう使うかを考えなければ、宝の持ち腐れってこと。。。どんな分野でもどんな状況でもどうしたら良くなるかを考えることを止めないことが重要なんやろう。俺はどうなんだろ。。まだまだやな。
今の塾生にも色んな人がいて、それぞれキラリと光る才能を持っているはず。今は自分を信じて、どういうスタートラインに立ちたいかをしっかり考える期間なのかも。そうして高校生になってからは、それぞれの才能を新しいフィールドでどう活かしていくか。自分のやり方を模索しながら、人生が楽しく感動に満ちたものにして欲しいな。
いつかどこかで会えたら面白そう。もしかしたら卒業生とはどこかで会ってるかも。 さて、俺ももうちょいやらなあかんな。
最後に一つだけ
皆さんが、今、こうしてチャレンジできることに対して、サポートしてくださる周りの皆さんへの感謝の気持ちを忘れないでください。
あと、相当昔に寄稿の依頼をいただいておりましたが諸般の事情でかなり時間かかってしまいました。先生申し訳ございません。お詫びと言ってはなんですが、坂本塾をより知っていただくためにちょっとしたイメージ資料を添付しておきます。
ありがとうございました。
日野 智尚