吉岡 由希子(第20期生 平成23年卒)
坂本塾20期生生駒北中⇒奈良高校⇒大阪大学外国語学部アラビア語専攻大学卒業後 三井物産株式会社に入社。
坂本塾との出会い
小4の頃、何気なく母に「塾に行きたい」と言ったところ近くに住む親戚が通っていた塾に行くことに。入塾試験がある本格的な塾と聞いた時は「余計なことを言ってしまった」と後悔しました。。。しかしもう戻るに戻れず、試験はさっぱりでしたがなんとか突破し初めての塾へ。
塾の評判は何も知らなかったので、厳しい塾だと知った時はまたまたびっくりした記憶があります笑
坂本塾は今の私の「マインドセット」ができた場所
坂本塾で学んだことってなんだろう?と考えたときに、真っ先に思い浮かんだことが
「礼儀」
「諦めないこと」
「まっすぐに」でした。
何事にも真っ当にまっすぐに取り組み、怒られたことをバネに次がんばれば、褒めてもらえる。
できなかったことができるようになるという環境を与えて貰えていたのだと今改めて思います。
今でも覚えている授業のシーンがあります
「大丈夫、おこられるのは二度目から。最初の失敗を次に生かそうとしない時や。どんなレベルかわからないうちから叱るなんて理不尽なことはしない」
と坂本先生が仰ったのです。
その時は何も感じなかったのですが後から思うとすごくまっすぐであたりまえだと思いました。
ここは塾生を大切に思ってくれている場所なんだ、信じていい、頑張ろうと思う気持ちになりました。
大学3年の時、次年度からエジプトの大学に留学しようと準備していたのですが当時部活をしていたので、現地での正規の年度からの留学(9月〜の留学)は難しく応募しても受け入れてもらえないだろうと担当教授に言われてしまいました。
でも部活を中途半端に諦めたくなく、中学生のときからの夢でもあった海外留学を諦めたくもなく、就活のことを考えるとこれ以上遅らせるわけにもいかず、、、、そんな状況でしたが、坂本塾で諦めずにまっすぐがんばることを学んでいた私はたまたま外国語学部に留学の話を持ってきていたアスワン大学に超異例な3月からの留学ができるようアスワン大学側と自分で交渉し、なんとか留学できるようにしていただけました。
僻地の大学で、且つ留学生を受け入れること自体私が初めてという、決して恵まれた環境ではなかったのですが、
「ここでどう道を切り開くかは自分次第、他の誰も経験していないことを経験して日本に帰ろう」と考えました。
現地では語学だけでなくエジプトやヌビア(アスワン・スーダンに居住する民族)の友人宅へ泊めてもらって生の文化に触れるようにしたり、すべての経験を大切に、自ら積極的に動くように心がけていました。
そんななか現地のインフラ関連で自分がとても困った経験から、現在のエネルギー関連の仕事を希望し今に至ります。
それが電力会社ではなく総合商社だったのは「電力・エネルギーだけ」でなく、いろんな業種があり、お客様に多様な角度からビジネスの提案ができるのではと考えたからです。
自身の苦労した経験が元なので今の仕事も頑張れていると思いますし、その経験ができたことも坂本塾でマインドセットができていたからだな、
とこの頃つくづく思います。
後輩塾生のみなさんへ
皆さんの中には、今やっていることや今の環境がどのように自身の未来に結び付き、役に立つのか想像がつかない方もいらっしゃると思います。
ただはっきり言えるのは、皆さんが自身の未来につながる経験を今この瞬間も着々と積んでいることは間違いないです。
私も坂本塾にいた時はここで学ぶ生き方が、自分の将来を左右するような根本的な考えになるとは思ってもいませんでした。
今私が自身の経験から皆さんに伝えたいことは、
「出会う物事の一つ一つを大切に。そして自分を信じて道を切り開いていってください」ということです。
道がなければ、自分次第で作り出すことはいくらでも可能だと思います。
それにはまず何より、自分を信じて諦めない力が必要でしょう。
偉そうなことを言っている私ですが、一度塾を辞めてるんです笑。
体調が芳しくなく勉強する意味も見出せずにいたので、全て放り投げるように戦線離脱しました。でも体調が回復した際、もともとあった海外への憧れから留学を目標にしたいと思うようになりました。
そしてまた勉強を始めるなら、坂本塾で頑張りたいと思いました。
諦めないで頑張れば結果が出せる塾だと感じていたからです。
その結果が今現在ですが、諦めずに頑張ってよかったと心から思います。
今やっている方法がダメでも、ちゃんと必ず違う方法があって課題を乗り越えていけますよ。
皆さんも是非自分を信じて、決して諦めず、前へ進んでいってください。
ありがとうございました。
第20期 吉岡由希子